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ALL FOR HAPPY®

ー生い立ち・すべては幸福のためにあるのだー

 1978年 福岡県生まれ 幼少期は沖縄県那覇市古波蔵で育つ。

父親からの虐待、ギャンブル、夜逃げ、ネグレクトなど複雑な家庭環境に生まれ、

幼少期は、母親が難病で入院したのを機に沖縄の親戚に長い期間預けられていた。

当時の沖縄は本土復帰後のアメリカとのミックスカルチャーが色濃く、

幼い目にはそのすべてがキラキラと輝いて映った。

見たことのないお菓子やジュース、アメリカンキャラクターのおもちゃや本、

すべてがアリカワにとって宝物だった。初めて経験する大家族で食卓を囲む

愛情に溢れた暮らしは「家庭」や「家族」こそが本来の幸せの在処であるという

思いを幼いながらに強くした。その後、本州の生家に戻ることになったが

過酷な家庭環境は改善することがなく、父親からの虐待は中学まで続いた。

高校1年生終わりの1995年、阪神大震災の被災と両親の離婚をきっかけに姉を頼って

母子で沖縄に戻る。 父親からはようやく離れることができたが、母子家庭の生活は

金銭的に苦しい状況が続いた。

20代に入ると苦境に拍車をかける出来事が立て続けに起きた。

甥の不慮の死、信頼していた知人の多額の借金を背負うなど、20代前半で深い挫折を経験し、

絶望感に追い詰められて自分の命を絶ってしまおうかと考えた。

その矢先に母親の自殺未遂があり、渾身の説得のさなか「この人を置いて死ねない」と

我に返った。自分も考えを改め「もう少しだけ頑張って生きてみよう」と思うようになる。

 

生き方を模索する日々の中、ふとある言葉が脳裏に浮かんだ。

それは「ALL FOR HAPPY」(すべては幸福のためにあるのだ) という言葉だった。

どんなに辛い体験をしても、その辛さを知ったからこそ『本当の幸福』に気づくことができる。

すべての経験は未来の幸福へとつながっているのだ。

「このままではいけない」

今、生きているこの人生を激変させるためには、自分の今までの人生になかった分野に挑み

それをものにするくらいの努力をする必要があると考え、アリカワは未知の分野に挑戦することにした。

幼い頃から「野球」の経験しかない自身にとって、一番に縁遠く対局だった「絵画」や「アート」を選んだ。

しかし、アートの専門教育を受けたことがない彼にとって、いきなり絵を描くことは難しかった。

 

「絵を描くのではなく、まずは色を塗るところからはじめよう。家や部屋の雰囲気が変わるかもしれない」

なけなしのお金を持って初めて画材店(沖縄市)に行き、店主に勧められた「アクリル絵具」を買った。

そして「モノ」に色を塗るところから始めたのだった。

 

「色にはすごい力がある」と色彩の魅力に初めて気付いた。徐々に色彩そのものから絵を描くことへ興味が移行。

「アクリル絵具」よりも手軽で素朴な温かみのある「サクラクレパス」に自分らしいタッチを見出していく。

次第に時間を惜しむように絵を描くようになり10枚に1枚くらいは気に入った絵を描けるようになった頃、知人の花屋さんに

絵を飾ってもらえることになった。その展示していた絵がきっかけでカフェでの「個展」の誘いが舞い込んだ。

『「個展」というのは巨匠のやるもの』という先入観があり最初は断った。当時はアーティストになる気持ちが微塵も無かったからだ。

しかし、先方の熱心な気持ちに人生の思い出にでもなればと「個展」の誘いを受けることにした。

 

 

那覇市の国際通りにあるカフェで行われた初個展は本人の予想外に好評だった。

出入り口に置いたメッセージ帳にはたくさんの温かい言葉で溢れていた。

そして、ひとつの事実に心を震わせた。

"ボクの絵で感動してくれる人がいる"

幼い頃からの家庭環境が原因ですべてに疎外感を抱いていたアリカワは

その瞬間、社会となにか繋がった気がした。

社会に拒絶されていたわけではなく、自分が心を閉ざしていたことに気づいた。

 

 

”人生大きく変えるためにっと自分試してみたい

        でも3年食えなかったらスパッとやめよう”

個展で声をかけてくれた雑誌編集者の勧めもあり、右も左もわからないアートの世界に

本格的に飛び込むことを決意したアリカワはギャラリーや他の個展会場を探すのではなく

路上に座る事を選んだ。まずは、自分の絵を知ってもらうことが一番大事と考えたからだ。

平日は県の職員として働き、天気の良い週末は路上に座り「500円の絵」を売るところ

から始めた。 しかし、そんなにうまくいくはずもなく半年経っても絵はまったく売れなかった。

 

そういった路上での厳しい状況の中でも諦めずに創意工夫を重ね続けた結果、徐々に路上での活動が人気を呼ぶようになり、

絵を描き始めてから一年後の2003年にそれまで勤務していた県の職員を辞め、アーティストとして独立した。  

 

鮮やかな色彩を基調とした温かみのある作風は幅広い年齢層のファンを獲得し、沖縄で人気アーティストへと成長していく。

 沖縄で開催される大規模展覧会「KO-HEY! ARIKAWA EXPO」では、毎年12000人以上の来場者を記録。※累計160000人動員 

現在、海沿いの音楽ホールを1棟貸切り、館内をアリカワの世界観で彩る大規模展示をおこなっている。

 

そもそも「EXPO」とは「展覧会を超えた展覧会を目指す」というアリカワの意志のもと名付けられた。

会場内を作品のテーマ別に10以上のブースに仕切り、毎年100点以上の最新作が展示される。

キラキラと輝くホログラムの案内状から始まり、入場ゲートの音楽や200種類を超えるオリジナルグッズの制作、 展覧会運営マネージメント、

会場でのアナウンス、本人によるレジパフォーマンスなどEXPOを構成するすべてを細部まで本人がセルフプロデュースしているのが特徴だ。

ローカルで独自の進化を続けている無比の展覧会として「展覧会の新たな発明」と評されている。

 

 また「アーティストとして生まれたからには、アーティストとして果たすべき役割がある。」という思いから、

毎年新作の絵本を自費出版し、独自の社会貢献プログラムとして来場する数千人の子どもたちにプレゼントしている。

「EXPO」が始まった当時は子どもだった来場者が今は成人し、新しい家庭を構え2世代3世代に渡って家族で来場することが増え、

ローカルに根付いたアート展に成長している。

2010年以降は、全国で個展を開催するようになり各地の有名百貨店などでアリカワの作品が販売されるようになった。

欧米のアートフェアへの出展やアジア圏での個展など積極的な海外での活動もスタート。2017年にはフランスのアートフェアから

メーンの展示作品として公式招待されるなど、少しずつ海外でも認知されるようになってきた。

 インディペンデントのアーティストとして活動の幅を広げる一方、「アート」に対して真摯に向き合いたいとの思いが強くなり、

2014年に京都芸術大学に社会人入学し「美術史」を学んだ。

 

2019年、茨城県つくば市に約700平米の大規模スタジオとギャラリー(現 MBG arts)をオープン。

2020年、3年後に活動20周年(2023)を迎えるにあたり「自身の表現が

現代アートの文脈にどうすれば結びつくのか?」と考えるようになり、

京都芸術大学大学院 芸術研究科芸術環境専攻 / 修士課程(後藤繁雄ラボ)にて

現代アートの分野を研究。「ジェフ・クーンズ論」に取り組み、2022年に修了。

2022年5月に開催された

「ザ・リッツ・カールトン沖縄 10周年記念特別展THE ART EXPERIENCE」では

「アート×食」をテーマにしたスイーツ、イタリアンのコラボレーションの他、

「Lamination」シリーズの作品群でホテル全館が彩られた。

 

ホテルのメインエントランスにはアリカワの過去最大サイズとなる大型作品「迎恩」が常設展示されている。

作品の一貫したテーマは「ALL FOR HAPPY」「WELLBEING」。

誰もがよりよく満ち足りた気持ちで生きるために「アート」がどのように社会の役割を果たし、寄り添えるのか、

アートにおける「WELLBEING」の実現を使命と捉え活動を続けている。

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​沖縄の親戚たちと (1982)

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